かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。
主は言われる、 さあ、われわれは互に論じよう。 たといあなたがたの罪は緋のようであっても、 雪のように白くなるのだ。 紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。
わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、 あなたの罪を霧のように消した。 わたしに立ち返れ、 わたしはあなたをあがなったから。
わたしこそ、わたし自身のために あなたのとがを消す者である。 わたしは、あなたの罪を心にとめない。
なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。
いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。
しかし、さばかれるとすれば、それは、この世と共に罪に定められないために、主の懲らしめを受けることなのである。
もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。
こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。
また燔祭に使う若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の小羊一頭。